26 febbraio 2010

遠くの下の方から、だんだん近づいてくる音がして、突風

20 settembre 2009

ぜんぶわすれちゃった

でもどうやらなにも変わっていない

23 febbraio 2008

湿度風向気温気圧
ビルが作る反響
条件が満たされた瞬間
都会の切ない音を聴かされた

04 luglio 2007

思っていたよりもずっと深いところまで潜っていたみたい。
水面へ出るともう暗くて、息が詰まるようにくるしくなった。
そして、さっきまで居た海が、恐ろしく深く、濃い色をしていた事にも気づいた。
もう潜れないのは怖いから?

22 giugno 2007

眠たい午後、しとしとの雨、やわらかくて湿った風に
新しく敷き詰められたばかりのアスファルトの匂いが乗って着た。
外が見たくて立ち上がる

21 giugno 2007

それぞれの感情、それぞれの思惑、それぞれの義務、責任、etc.
界面活性剤ペルファヴォーレ

06 giugno 2007

毎日昼下がりに八百屋が到着、大きな声
”ヤーオヤサンデスヤーオヤサンデス”と繰り返す。
青いトラック、ビニル製の屋根とカバー、山積みダンボール、
半径ニメートルまで近寄ると感じる、青臭くてフレッシュな土の匂い。
キュウリ10本単位、トマト6つ単位で売ろうとする強引さは
お年寄りでも、一人暮らしでもお構いなし。
“トウモロコシが良い”と豪快に皮をベリッと剥いでわたしの顔の前に突き出す。
生のコーンの表面なんてあまり見たことが無いので、何とも言えないけれど。光っていた。
迫力に圧されてトマト6つ、トウモロコシ3本

02 giugno 2007

「早く機械が人格を持てばいいのにな。
そうすれば文明や地球の未来を機械に任せて、
僕たちはセックスをしたり、子供をつくったりせずに、
ずっとこうしていられるのに。」

ってanonymousな日記に誰かが書いていた

16 maggio 2007

泣き出すのは簡単で、それを我慢することが難しかった。
今は反対。泣き出すのは難しいけれど簡単に我慢できる。
つもりだった。

09 maggio 2007

この季節が
今に終わるのではないかと気が気ではなく
毎日ドキドキしています
多分、初夏が一番好き

08 maggio 2007

手軽にジェームスボンドや007の様な気分や
スリリングでスティミュレイティングな経験をする方法を
発見しました。
エスカレーターで靴紐がほどけたのを結ぶ

05 maggio 2007

夜、暗い道を歩いていると、「ワッ!」と驚かされるように
お花の匂いがしました。
突如として香ったので
それはまるでスーパーボール500000個くらいが
空から降ってきたような衝撃でした。

27 aprile 2007

光は正確に、計算された方向に反射されて濃淡さばかりが際立つ。
夜の人工的な光を含んだ建物は、ジオラマの様で、まるでリアルじゃない。
山手線から見える渋谷109をぼんやりと見ながら、
数学の教科書で見た、灰色の円柱を思い出していた。


12 aprile 2007

はじめてトイレタンクの蓋を開けた。そして泣きそうになってしまった。
急に初めてパソコンの中身を見てショックを受けた時のことを鮮やかに思い出した。


11 aprile 2007

今どこかわからなくなった

20 marzo 2007

暖かくなると気の触れるものが多く出てくる

01 marzo 2007

携帯型メディアプレイヤーが壊れた。
代替品として、耳栓。

28 febbraio 2007

温室の植物のことを思う。
壁に押し付けられて狭い箱の中、強制的に陽の光を浴びて
眩しすぎるのと眠いので、眼が痛み涙が出る。
強制日光浴、満員電車の窓際

26 febbraio 2007

ふざけたような甘さや、ごつごつして繊細さのない
あの、ポスターの中の様なパフェが、時々、食べたくなる。

22 febbraio 2007

一瞬強い風が吹いてやわらかい匂いがして。
匂いにやられてしまったのか、もう足が動かなくなって歩くのを止めてしまい、気づいたら、もう、春雨の中。
湿った土の匂い

14 febbraio 2007

明日はバレンタインデーで、日本は例年通りチョコレートの見本市が開かれています。

29 gennaio 2007

夕暮れ時、初めて来た駅前で、あと30分は来ないであろうバスを待つ。
おばあちゃんが近づいてきて横に座り、ごく自然に自分についての話を始めた。1mくらいの距離があるというのに、彼女の声はまるで糸電話で話しているかのようにはっきりと声の質や色まで聞き取れる。わたしは何度か頷きながら、じっと聞いていた。決して面白い話ではなかったし、語り口が良いわけでもなかった。彼女のお話は少し照れたような笑い方でしめくくられ、スパーなタイミングでバスが来た。彼女はさよならも言わずにふっと立ち上がってバスに乗りこんだ。もう彼女の顔も何もかも忘れて声だけが残った。
糸電話の声は、たぶん、すべてに共通することを話した。
人は、聞かなければならないことを、聞かなければならない時に、きっと聞く

23 gennaio 2007

朝、15分も外を歩くと、急速に冷却された顔がひやひやになる。
ふと、ガラスに移った私の血の気の無い顔は
人工的なお化粧の色だけが顔に残って、まるでお化けの顔。

25 dicembre 2006

今夜、東京のあらゆるアカミドリのイルミネーションは取り外されて、お正月に向けてアカシロになる。また今年も、人力マジック。

25 ottobre 2006

地面が湿っていて、まるで世界は裏切られたように朝は来たが、
まだ曇っていた。電車の中で少し寒く感じたからマフラーに
顔を半分埋めて、少し安心した気持ちで目を閉じたまま窓へ眼を向ける。
ガラスの窓が曇っているのを、いくら手できれいに拭っても
拭いきれない。きっと外が汚れているんだ。

13 settembre 2006

真夜中の秋雨20℃
夏の虫たちは今夏ノルマ達成のためなのか、あせるように鳴く。
冷たくて湿った風に急かされるように。

09 settembre 2006

君を思い出しながら
長袖、ロイクソップ、デリカーヌピュアレンス、薄いオレンジのマニキュア、新しいカメラ、お酒はジントニック、そしてわたしはチキュウとおさらば

05 settembre 2006

ミラーボールが大好きなこと、チョコレートも大好きなことを思い出した。

30 agosto 2006

SAjAKAのお誕生日会をして、また彼女の存在の大きさを感じる。一年前もこうやってお祝いをした。来年もその次の年もお祝いをしたい。そうやって毎年思いたい。SAjAKAに会いたい。
気づくと美しい女の子ばかりが集まっていて、なんとなく照れてしまった。素敵で賑やかで華やかで素直な女の子たちがずっとこのままでありますように。

22 agosto 2006

ふと、思い出したように、
久しぶりに髪をほどいてみると、気絶しそうな程、淡い苦いにおいがする。
このにおいが昔から好きではなかった。純粋そうで罪がない。
シャンプーのにおいでメランコリック。
自家中毒

21 agosto 2006

近い” と感じる人には会えば分かる、初めて会っても。似ているのかもしれない、前世なのかもしれないけれど必ずしも親族じゃないし、親しくなった人というわけでもない、わからない。でもそういう人には滅多に会えない。不確かだけど、自然過ぎて何も疑えない感覚。

25 luglio 2006

耳栓をひさしぶりに
潰して耳にさす、だんだんと音が遠ざかる、さようなら雑踏。一瞬眼が閉じて頭が重くなって後ろに倒れそう、ちれじれになった燃えかすの様に、もう遠くで聞きとれない、フィルタのかかったようなノイズ。

静かで音においていかれたような感覚。不完全な隔離

12 luglio 2006

この、画面の中の抽象的な世界が、これからわたしの現実世界になってゆくらしいということに恐怖を覚える。毎日確実に、虫食いのようなゆったりとしたスピードではあるが、わたしの日常が画面の中へ移行してゆくのを感じている。
穴だらけになってゆく現実、うらはらに輪郭を帯びる抽象世界。

26 giugno 2006

自分の幸せとは何か考えている、今。自分の気持ちすらわからない麻酔のかかった頭に時々気付く、最近。そのうちそんなことすら忘れてしまうんじゃないか、と恐怖を感じる、日々。

23 giugno 2006

クラウドゲイとブヨウダン

04 giugno 2006

梅雨が終わってからでも良いわよ、
せっかくなら晴れた日にドライブしたいじゃない?
ってわたしが言ったら、   
 「もうこれから日本は晴れないかもしれないよ?」

   と、ドライブ延期はなんなく却下された。

11 maggio 2006

ルビーコレクターの彼、冷蔵庫には苺を絶やしたことがない。ルビーは疫病の薬で、、苺は飽きがこないと話す。

05 maggio 2006

I've heard it said
That people come into our lives for a reason
Bringing something we must learn
And we are led
To those who help us most to grow
If we let them
And we help them in return
Well, I don't know if I believe that's true
But I know I'm who I am today
Because I knew you


lyrics from the musical "wicked"

01 maggio 2006

華やかで大きなお花が咲くように改良された、ラナンキュラスのことを考えていた。
自身の頭の重さで茎が折れてしまう。

頭に感覚がついていかない。
モワっと夏の香りがした。女の子たちは薄着になってきたし、一昨日から「夏の夜の音」がしていたし、夏が来ることは解っていた。つもりだった。

24 aprile 2006

sajakaが言う。
こんなに明るいのに、
輝いている星って、すごいよね

赤坂の夜はsympathique

15 aprile 2006

PEOPLE DO JUDGE.
WORLD ISN'T AS BEAUTIFUL AS IT IS SAID, NOR CLEAN AS ITS SUPPOSED TO BE. AS LONG AS WE LIVE.

11 aprile 2006

結局・・・・

結局、世界に適応することは予想以上に難しい。いつも期待と失望の間にいる。見返りを求めたくないから何にでも期待はしない。つもりだった。忘れっぽい私は、不意打ちで期待をしてしまう。そしてよく失望する。

10 aprile 2006

サヤカから送られてきた携帯の写真を見て不思議な感覚にとらわれた。画質の悪い写真の中の現実味のない、たらたらとした白い空間に、一瞬の違和感だかデジャヴを見たようだった。自分をその写真の中に探した、或いは、自分がその写真を撮ったという錯覚にとらわれた。

04 aprile 2006

強風に煽られ空に巻き上げられるさくらの花びらは、まるで逆さに降る雪のようで。なんともいえないくらい好きだと思う。咲いているさくらよりも、好き。

日本人は、さくらの季節になると、顔が赤くなって、呂律がまわらなくなって、みんな愉快になってしまうという中毒性の強い集団感染を起こすみたいね。

29 marzo 2006

久しぶりに熱が出て、“熱にうかされる”ってこんなことだったんだと思いながら、エジプトやトルコでの日食をライブ中継で見た。欠けてゆく太陽をノートパソコンの画面で見ながら、丸くて冷たいアイスクリームを食べた。
ウイルス性胃腸炎四日目

20 marzo 2006

i still don't know where i belong toだけど、世界は寛容だ。
「ここに居なくちゃならない」とは思えないけど「わたし、ここに居ても良いんだ」と思わせてくれる。

05 marzo 2006

洞窟の壁は冷たい。日差しが眩しいバスの中、獣医のアメリカ人女性とSEをやっているというカナダ人男性がsunstrokeについて話すのが聞こえる、色合いが嘘みたいで箱庭のおもちゃのような家々が時々見える、土と緑のコントラストが美しい地面、映画のセットのような景色。
カッパドキアで

25 febbraio 2006

majorityに属すことが、この世で生き延びる道。
ただ、minorityは進化の上で不可欠で、なにか種族にirregulerがあったときのスペア。だから今は必要ないかもしれないけど、いつか必要かもしれないから、ストックとして在るべきだと思う。

20 febbraio 2006

熱帯植物園の暖かい
相変わらず湿った暖かい空気のおかげで呼吸がしやすかった。植物園に入った瞬間 のにおいが好き。たくさんの不思議な植物を見て、こんなにたくさん色形や種類があるんだから、わたしも植物の仲間かもしれないと考えたけれど、むしろわたしは鯨に近いんだということを思い出し、植物のほうがよかったと思った。そして、自分が植物だっ たらどんな色形や種類なのかを考えました。

14 febbraio 2006

「いやだなー、
そのうち、おもしろくないことでもわらえるようになるんだろーなー」


メグ、学生時代最後の格言

01 febbraio 2006

いつから雨が降っていたのだろう
いつの間にやら、わたしはずぶ濡れになっていて。雨に気づかなかった自分に少し感心した。そのままタクシ-を拾う 気もなく、歌を口ずさみながら学校まで歩いた。学校に着いて髪を乾かしながら、髪を意図的に乾かしたのは久しぶりだと思う。濡れた髪は、少ない感じがし て、わたしは理科の実験の酸性雨やリトマス試験紙の色をぼんやりと思い出した。
ordinary enough. last day of school

29 gennaio 2006



七人のパティシエが作るケーキlady M のケーキ
二人とも、欲張りすぎたみたい、ケーキだけですっかり酔っ払った。どうにも愉快な気分が抜けないようで、お店から出ても歩きながら笑い続けた。
美しいもの、甘いものに潜む依存性というリスク、に値する陶酔感、多幸感。
lady M : 78 st.( LEX.&PARK)NYC

28 gennaio 2006

スカンジナビアンのお料理
謎々めいた食事の冒険な味。何故か脆いのに、どうしようもなく愉快な気持ち。いつの間にか少し酔っ払って、わたしは自分の後ろにデヴィルがいるような気分になっていた。ロゼのシャンパンはスルスルしていてデヴィルは可笑しくて仕方がないというように、わたしが酔っ払っているのを、お腹を抱えて笑っていた。外は一月末の夜だというのに奇妙に暖かく、寒さを感じない 。ショーウィンドウでは1億2000万円の車が未来的に光っている。
わたしは、北欧の魔女信仰のことを思い出して、少し怖くなっていた

26 gennaio 2006

岬のお家
初めて見たときから魅力的で、今にも崩れ落ちそうな空き家。なつかしくそばによって、何も変わらないことを確かめる。おうちの中と冷蔵庫の中は空っぽ。ここはきっと夜は冷えるのだろうなと海を見ながら思った。雪が降るのも心配。いつか ら人がすまなくなったのか、なぜ取り壊されないのか、そんなことは別にどうでも良くって。ただ、またわたしがここに来ることができたなら、この場所には、 このお家があったほうが良い。

20 gennaio 2006

彼らの演奏(たいして長い時間ではなかったというのに)疲労を感じた。初めて聴いた、初めて見るバンドの、始めの曲で、涙が出たのは初めてで。
Esbjorn Svensson Trio @ THE JAZZ STANDARD : 27th st. (Lex.&Park)NYC

15 gennaio 2006

雨らしい雨。
わたしは傘があまり好きではないのだが、傘をさしている人を見るのは好きだ。
とりわけ、冬に、女の子が赤やピンクの傘を差すと、頬にうつった色が暖かく、顔が上気している様に見えて。寒い日であることを忘れてしまいそうになる。
久しぶりの“まとまった”雨

01 gennaio 2006

年があけて、一番に、思ったこと
“06を05と書き間違えないように、気をつけなければ”

26 dicembre 2005

赤と緑はその晩、跡形もなく消え去った。そして次の日の朝、街は、突如沸いてきたような紅と白になっていた。
毎年12/25の夜、日本の街には、魔法がかかる。

24 dicembre 2005

もしも、明日、「”聖書”は実は偽物語で、BC463年ごろ、売れない中国人小説家が、アフリカで書いた本だった」ということを、MITの研究チームが発見して、来月のNATURE誌に掲載されることになったとしても、
キリスト氏のもたらした経済効果は後世に語り継がれることでしょうね。

23 dicembre 2005

シャンパンと、生春巻きと、揚げ春巻きに、タピオカココナツミルク、交通規制に従わないタクシー
生演奏
ライトに照らされる、拍手をするたくさんの手は不思議だった。
チーズとコニャックとチーズとカップル
アンコールの一曲目が、blackbirdだとわかったときに、ふわっと泣きそうになった。

BLUENOTE TOKYO

20 dicembre 2005

お歳暮って、好きだ
今年も、歳が暮れる

12 dicembre 2005

  “誓いは偽りの始まり” なのね

11 dicembre 2005

結局また、自分の感覚、体験、世界、その他
どれもが信用に足るものではないという結論。
いつもそう

29 novembre 2005

FLY ME TO THE MOON AND LET ME SING AMONG THE STARS
LET ME SEE WHAT SPRING IS LIKE IN JUPITER AND MARS

IN OTHER WORDS, HOLD MY HAND
IN OTHER WORDS, BABY KISS ME

FILL MY HEART WITH SONG AND LET ME SING FOR EVER MORE
YOU ARE ALL I LONG FOR ALL WORSHIP AND ADORE

IN OTHER WORDS, PLEASE BE TRUE
IN OTHER WORDS, I LOVE YOU

FLY ME TO THE MOON / FRANK SINATRA

28 novembre 2005

もっと。もっと自分の心地の良いように、気持ちの良いように、こころ安らかに生きていたいのに。今 までの人生で自然に身についてきた倫理観や道徳観は、容赦なしにわたしの邪魔をする。the world isnt that complicated like i used to think. what making it camplicated is my selfきっと。

27 novembre 2005

ありがとう、ごめんなさい、ゴミはゴミ箱へ、借りたものは返す、みんなで楽しむ、etc.
大切なことはみんな小さい頃、砂場で学んだ。
electragride05

22 novembre 2005

お菓子を作るのが好きだ。
粉や何かを混ぜ合わせ、適当と思われる材料と、手順と、道具を使って作るお菓子は良い。暇つぶしであり、何かに集 中したい時の選択肢でもある。お菓子なんて、別に自分で作る必要はないし、はっきり言って時間の無駄とも言える、作るのが上手いわけでもない。というの に、やはり好きだ。上手くいって、 大好きな人に食べてもらうのはもっと好きだ。失敗してしまっても、ちょっと外へ出かければ、代わりをお店で買える。私が作らなくとも、誰かがもっとおいし く作っていてくれる。この安心感があるから楽しいのだろう。甘いものは、人を幸せにする。

20 novembre 2005

夢と現実の境がわからないときが多々ある。
そして、その、境を見分けるのに、大変苦労する。ほおっておいてもいいのだが、なにしろ生活に支障をきたしかねない。
「わたしは夢と現実、両方で生きてゆく」と開き直りたい。
だけれどわかっている、割り切らなければならない。どんなに不満を言っても、実生活を行うこの世界こそが、やはり、わたしの現実なのだから。
現実と折り合いをつけるという、課題

17 novembre 2005

「そうですなあ。あるいは、人生も社会も、錯覚の連続の上に存在しているのかもしれませんな。そうじゃないと断言できる人が、誰かいますかね」

星新一・「これからの出来事」より

15 novembre 2005

何かが起こる予感がしてならない。最近、ニュースが少ない。この状態は何か大きな事件の起こる前兆のような気がしてならない。

“エネルギー保存則”(エネルギーの総量は変化しない)

13 novembre 2005

げんじつ 0 【現実】
(1)今、現に事実として存在している事柄・状態。⇔理想
(2)〔哲〕 現に事実として与えられていること。また、そのもの。
(ア)理想に対してその素材や障害となる日常的・物質的なもの。現状。⇔理想
(イ)現に存在し活動するもの。想像・虚構や可能性ではなく、現に成り立っている状態。実際の存 在。実在。
(3)実現すること。「光明より流れ出づる趣味を―せん事を要す/野分(漱石)」

じじつ 1 【事実】 (名)
(1)現実に起こり、または存在する事柄。本当のこと。
(2)〔哲〕 時間空間内に現に存在するものとして我々に経験される出来事や存在。現実的・実在的なものとして想像・幻覚・可能性などに対し、また経験的に与えられている現象として理想・当為・価値に対する。(副)本当に。実際に。

しんじつ 1 【真実】
(名・ 形動)[文]ナリ(1)うそいつわりのないこと。ほんとうのこと。また、そのさま。「―を語る」「―の恋」「私に取つては、あなたが、一番―な友人でゐら つしやるのだから/人形の家(抱月)」(2)〔仏〕 絶対の真理。(副)ほんとうに。心から。「―申し訳ないと思っています」[派生] ――さ(名)――み(名)

10 novembre 2005

海の泡で作ったドレスのお話があったのを思い出す。ココナツマカロンを食べながら、思出だす。

07 novembre 2005

“大奥”という民放の時代劇が、わりと好きだ。どうしても登場する言葉使いや固有名詞に惹かれるし、変なところでluxuriousなのもなんだか良い。時代劇でしか表現できないことが、あるような気がする。現代の標準語では表現できない、ぴったりで、的確な表現ができる、言葉。

これからの必然のために、今日も偶然をくりかえしてゆくわたしたち

06 novembre 2005

わたしにとっての大切なものは、誰かにとってはまったく意味のないもので・・・・・

05 novembre 2005

 オンラインでニュースを読む。”カスタマイズ可能”ジャンルを絞り、自分の興味のあるジャンルのニュースしかトップに表示されないように設定。わたし向けの本日のトップニュースには殺人事件や誰かの不祥事は無い。ありがとう。
 オンラインで本を買う。『クミさんいらっしゃいませ、おススメの本があります!』前回買った本から、わたしの購買歴と統計と。人間味は無いが、正確さはある。ありがとう。
 興味の無いものは見なくても良いのだし、目に入ることさえない。ありがとう。
どんどんカスタマイズ、どんどんパーソナライズ。いつの間にやら自分で選んだ情報に戸惑いを覚える。
まさに自業自得。

01 novembre 2005

それにしても
それにしても、なぜ世の中の女性の唇は、こうも、麗しく潤み、テカテカといつも光を集めているのだろうか?
朝の電車で見る唇達は、みな、できたてで、日本の化粧品業界の最新テクノロジの見本市か何かを見ているようだった。さまざまな唇の輪郭を眺めながら、需要曲線と供給曲線のことを考えた。
朝の電車の中で

眠る前に、たばこを吸いに、ビーチサンダルで外へ出て、シリウスを見て、少しちぐはぐだと思いながらも、星にみとれる。

28 ottobre 2005

ホットチョコレート、この冬初めて もう、いい加減よいだろうと思い、ホットチョコレートを作った。やけどをしそうな湯気と、気の遠くなるような甘さのなかで、いつもぼんやりと、こんなに ”愛されていることの象徴” のような飲み物はほかにないと思う。

25 ottobre 2005

夜の星を見て、この世界に星の数ほどある音楽、その中から自分で本当に好きなものを、聴くべき音を、死ぬまでに探し出せるのだろうか。と、不安に駆られる。会うべきもの、見るべきものはちゃんと体験できるように配になっているとは言うけれど。
物心がついてからの、ずっと続く不安

24 ottobre 2005

So, let go. let go
Jump in
Oh well, what you waiting for?
It's all right 'Cause there's beauty in the breakdown

frou frou/let go

19 ottobre 2005

コーヒーのクリームは、白い、真っ白で、見惚れる
コーヒーにクリームを入れる緊張感。対照的な色をした液体が、スプーンを入れなくとも水面下で行き交う模様が混ざりそうもないのを眺 めていると、模様に何か法則があるのではないかと考えてしまう。
しばらく眺めていると、色が混ざって”美しくなくなるだろう”という瞬間が来ることを、わたしは知っている。わたしは、あらかじめスプーンを右手に持ち、その瞬間を捕らえて逃さないよう に、コーヒーを混ぜるべき時を待つ。
瞬間がくると、わたしは、初めて何食わぬ顔でカップの中から目を逸らし、カップの中にとどめをさす。

08 ottobre 2005

空港は好きではない。嫌いなわけでもないのだけれど。
空港へ行くとどうもソワソワしてしまって仕方がない。自分が飛ぶときも、お見送りも、お迎えも、キョロキョロしてしまって落ち着かなくなってしまう。
  白い壁の前で、お迎えに来た人々は、まったく”お正月のかるた遊び”の時のようで、勢いがある。わたしは、その雰囲気に押されながら、待っている間に、サヤカとソフトクリームを3つ食べ終わった。食べ終わると、いよいよマキチャンが、そこから出てくるのだろうか、という不安に駆られた。
 彼女がやっと、白い壁から出てきた瞬間、その場が途端に現実味を失い、白い壁の奥から彼女が出てくることが、まるで手品か何かのように感じられた。
空港はこれだから好きではない。

26 settembre 2005

朝、陽の光の色は世界をどうしようもなく現実的に見せる。昼間とは違い、何もかもの実際の色を見せる。現実を直視できないのか、したくないのか、わたしは、また、明け方に眠りにつく。

18 settembre 2005

デパチカでビールとお団子、お月さまを探してウロウロ、公園でお月見。カップルだらけで少し笑って、勤めて真面目な顔をしてビールを飲んで、ほとんど木々で隠れてしまっている月を眺める。お団子のあんがしつこく甘くて、まわりのお餅は薄っぺら。遠くでおはやしが聞こえて、噴水が涼しげ。口に入れて、存在を確かめて、飲み込んでみたいほど上等そうで嘘っぽくみえるお月さま。

10 settembre 2005

夏が終わるとき、花火が終わるとき、お祭りが終わるとき、パーティが終わるとき、大好きな曲が終わるとき、エレクトリカル・パレードが終わるときが、あの感覚が、今日と、似ている。

09 settembre 2005

この時期、「夏の夜の音」がいつ消えるんじゃないかと、わたしは毎年のように余計な不安を抱える。「夏の夜の音」が消える、その時は、毎年必ず来る。夜、少し湿った空気のにおいの中で聞こえる虫の音と、葉っぱがサワサワとするような、複雑な柔らかい、たくさんの楽器が一斉に音出しをしているをしているような音、ちょうど、本番前のリハーサルをしているような。この音が聞こえなくなったら、きっと秋。来年も、きっと、同じ音がする、と、分かっているのに、ただ夏が過ぎただけだ、と思うのに、不安でたまらなくなってしまう。だから、時々、夜中に起き出して、わたしは、 make sure that it is still there, where it's supposed to be.毎年、余計な不安を感じるこの季節、来年もしもこの音が聞こえて来なかったらどうしよう・・・と、へんに、ドキドキしてしまう。

05 settembre 2005

 夜は大好き、眠れない夜以外は。眠れない夜には、誰かが沢山の記憶を持って来て私のあたまの中に、分別しないで捨てていったみたいに、たーっくさん、いろいろなことを考える。起きている夜は、少しスピードの早い快適な夜という乗り物を、乗りこなしているような気分でスイスイと、頭が気持ちよく生理整頓されているような気がする。だから、夜は大好き。
 でも、まだ少しだけ、時々夜中に、ふと、悪いことしてるような気分になってしまう。今、多分、わたしはもう、大きくなったから、真夜中に街を徘徊しても、いつまでも何時までも、眠らなくても、誰にも咎められないし、叱られることも無い。なのに、言葉では言い表せないような、なんだか、少し後ろめたいような、不安が雑じったような気恥ずかしさを感じる。きっと、わたしは夜に対して後ろめたいんだ。

02 settembre 2005

”つけたくもないのに、無理やりにつけられた脂肪で肥大した、内臓の料理”のことを考えていた。
 私も、時には冷酷とか無慈悲とか残酷とか、そうゆう言葉で表せるかもしれないような気分になる。だけど、”残酷な食物”を食べるときはそんな気持ちでは、決してない。むしろ、その味や香りやの主観的な感覚と、自分が食べているものについての客観的考察が、わたしをちょっとだけ、妙に、愉快な気分にさせるよう。甘すぎるお菓子を、つい、ついつい食べ過ぎてしまうことにも、とってもよく似ている。自分の味覚や感覚はあまり信用ならない。

23 agosto 2005

最近テレビによく登場するカメイサン、黒くてピカピッカの車の中、白い後部座席でバナナを食べていた。忙しくってお食事をする時間もないって言いながら。カメイサンは、バナナの皮を全部取り去ってから、裸のバナナを人差し指と中指、親指の三本の指で挟んで食べていた。そういえば、ユリチャンもそんな食べ方をする。ワイルドで、ちょっと良いなと思う。わたしはいつも少しずつ皮を剥がして食べていたので今日はその食べ方をまねて食べてみようと思う。カメイサンのバナナはとってもおいしそうに見えた気がした。

18 agosto 2005


サヤカのお誕生日会をした、足湯をしながら、お酒を皆で飲んで、少し歌って、陽気になって少し踊って、たくさん笑った。お酒は普段、あまり好んで飲まないほうなのに、今日は色々と飲んだ気がする。素敵だった、楽しくって、フワっとしていて、ハッピーだった。
 彼女のことを言い表すのはわたしには少し難しい。その美しさも然る事ながら、内面の美しさと来たらなくって、人を寄せ付けるって言うと、なんだかtoo stale。そうゆう人って、いるんだなと、つくづく感じさせる。そんな女の子が回りに居て、良かった。
彼女が生まれた日を皆でお祝いできた事が、とってもとても嬉しかった。

17 agosto 2005

「国民的美少女コンテスト」というのがあるが、興味はない。ただ、今、どのような美少女が好まれるか、時代の気分を反映したコンテストだと思う。
 あれはデパ地下だった、その子は、足が、フと、止まるような存在だった。騒々しい食物の匂いと、平均年齢の高い喧騒の中で、少なくとも限定のメロンパンよりはわたしの興味を引いた。そう、そのデパチカに佇んでいた子が、丁度、国民的美少女コンテストに出ていそうな容姿だったんだっけ。今なぜだか、思い出した。

14 agosto 2005

ねぎ焼きにポン酢を。豚肉は先に軽く火を通します、サクラエビとネギ二種に、揚げ玉とタネを混ぜてお好み焼きの要領で。“手早く”混ぜて、“じっくり”焼きます。両面十分程度づつが目安です。出来上がりはお花畑のような色です。
鉄板焼き屋さんで

夏の夜明けの外、少しムワっとした感じ、ラジオ体操を思いだす。行った方が良いには違いないとは思いつつ、あまり好きではなかったので、ほとんど行ってない。なのに、思い出す。あれには、子供を釣るために最後まで毎日通うと景品か何かが用意されている。らしい。が、結局、最後まで何がもらえるのかは分からなかった。

09 agosto 2005

おふろやさんって場所では誰も恥ずかしがらない。ギャルも、ミニスカも、コンサバ系も服を脱ぐとみんな。 深夜近くの子供のいない静かな浴場、わたしとサユは白っぽくてシワシワになるほどお風呂やサウナに何度も入った。お風呂から出たら、びじんも、ぺちゃぱいも、がりがりも、かくれひまんも、おばあちゃんも、みんな肌から湯気が出ていて柔らかそう。
一番のお気に入りは、大きな大きなヘアドライヤー。ヘルメットのようにして椅子に腰掛けてスイッチを入れると妖怪メデューサになったように風に髪が巻き上げられてきもちが良い。私はドライヤーのモーターの音が少し大きすぎると思いながら、「妖怪大戦争」はなるべく早くみたいと思った、メデューサはきっと出てはこないだろうけれど。

現代的な銭湯で。

03 agosto 2005

夏になると、冬の暖かな雰囲気や、1ミリの隙間もないような密な空気や、冬に行なうに相応しいことをあれこれ考える。そして、“喉元過ぎて熱さを忘れ”てしまったように「わたし冬のほうが好きかもしれないな」と思う。冬にはその反対で。こうやって次の季節の素敵な想像をしながら日々を暮らすことは、割りと人生を過ごすことに似ているのかもしれないな。

02 agosto 2005

せつない、うつくしい、趣のあるものやことが好き。あとは面白いもの、ハッピーなこと、素敵なこと、色々。
そうゆうの、探してメモしておきたい。

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